アクセス解析 1-6 水島博士のリチウムイオン電池「正極材」発見ストーリー

1-6 水島博士のリチウムイオン電池「正極材」発見ストーリー

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みかドン ミカどん昨年年末まで連載していたリチウムイオン電池の簡単解説記事から、毎月特定の項目をピックアップし、リチウムイオン電池のさらなる雑学を斜め下から掘り下げる『リチウムの斜め下』シリーズです。今回はリチウムイオン電池の正極材を発見し、爆発的な普及の最初の足掛かりをつくった水島公一博士についてです。

水島公一博士_w800_img_review06

(画像:NIMS WEEK 2016 より)

以下は、『第3回 世界初のリチウムイオン電池は日本製』の一文です。

ちょうどそのような頃(1980年)、オックスフォード大学のジョン・グッドイナフと水島公一が正極の材料として「コバルト酸リチウム」が適していることを世界で初めて発見したのです。

水島博士は化学分野の研究者ではありませんでした。ではどんな経緯で正極材の発見に至ったのでしょうか。

大学の専攻は化学ではなく物理だった

水島博士は昭和16年(1941年)生まれ。化学者の多い家系に生まれ、ご自身も東大に入学して化学の道を志しましたが、授業を聞いているうちに物理のほうに面白みを感じ、最終的に物理を専攻しました。そしてしばらくは磁石を研究していたそうです。

水島博士は「いい磁石をつくる」ことよりも「なぜこれが磁石になるのか?」という物質の探求に関心があり、そればかりやっていたとのこと。その過程で2価のコバルトと3価のコバルトの違いなどを調べ、磁石になり得る遷移金属の特性を熟知していたことが、後年の成果につながりました。

渡英後に目標が差し代わる

磁性体の研究を続けていた若き日の水島博士でしたが、やがて、世界的な研究者として知られたグッドイナフ教授の招きでオックスフォード大に留学しました。「固体電解質を使ってリチウム電池をつくらないか?」 という呼びかけに応じたものでした。

その当時(1977年)はパソコンや携帯電話などはまだなく、リチウムイオン電池の開発は自動車のためのものでした。1973年にオイルショックがあり、ヨーロッパでは石油に代わる動力源として、電池の開発を急ぐ風潮が強かったのです。

ところが先にエクソン社が、リチウム金属を負極にした電池をつくってしまったため、水島博士らの研究は、『リチウム電池をつくる』ことから、リチウム電池の『もっと優れた電極材を探す』ことにシフトしました。

リチウムは金属の状態で電極につかうと、段々ヒゲのようなものが伸びてきてショートの原因になり危険だったからです。そのリスクがなかなか解消できず、リチウムイオン電池はまだどこも製品化に成功していませんでした。

研究室への出入り禁止が方向転換のきっかけ

エクソン社が開発したリチウム電池は、負極に金属リチウムをつかい正極には硫化物がつかわれていました。硫化物の電極は、それまでの正極に比べはるかに優れた特性があったため、水島博士らもそれにならい、隣の研究室の炉を借りて、硫化物の合成から研究をはじめました。

ところがある日、実験中にその炉が爆発してしまいます。幸いけが人は出ませんでしたが、 室内に硫黄と燐(りん)の蒸気を充満させてしまった水島博士は、この大騒ぎ以後、この研究室への出入りを禁止されてしまいました。

気まずい思いの中、グッドイナフ教授が酸化物にも可能性があることを研究会で聞きつけてきたことを受けて、教授の声掛けにより水島博士らは、硫化物から酸化物に研究の方向を切り替えました。

ですが、酸化物は水島博士にとって磁性の研究で扱いなれていた分野だったため「正直、ほっとした」面もあったようです。そしてこの方向転換の結果たどり着いたのがコバルト酸リチウムでした。それは水島博士が30代で出会った大発見でした。

のちに博士は産経ニュースのインタビューで「酸化物で電池を作ろうなんて、当時は誰も思わなかった。爆発という出来事があり、さらに自分が電池の専門家ではない門外漢だったのでできた」と語っています。渡英前に大学で携わっていた別の研究が、ここで実を結んだのかもしれませんね。

その後は電池から距離を置いた水島博士

水島博士はその後、電池の研究からは離れました。ベーシックな研究が好きとおっしゃる博士の興味は、あくまでも素材の開発にあったようで、このときも新しい磁性や伝導性を持つ面白い材料を見つけたいという思いの方が大きかったとのこと。

そのため、市場に出せるリチウムイオン電池として「仕上げる」ところまではあまり関心がなく、イギリス滞在も、二次電池実現のきっかけをつくるところまで、と考えていました。そして帰国後は東芝に入社して、再び磁性の研究に戻りました。

ですがデジタル機器がまだなかった当時のリチウムイオン電池開発は自動車への応用を目的としていたため、1980年にコバルト酸リチウムを発見した水島博士ご自身も、実現には時間を要するイメージをお持ちだったのかもしれません。

しかしその発見は、論文を1年後に読んだ旭化成の吉野彰博士の目を釘付けにしました。吉野博士も日本で同時期にリチウムイオン電池に着手していましたが、吉野博士らは負極にはすでに目処がついており、それに組み合わせる正極材料を必死で探していたのです。

こうして二つの研究が出会い、やがて1991年にリチウムイオン電池は世界で初めてSONYから商品化されました。用途は自動車ではなくビデオカメラでした。

水島博士の名前は、その偉業に寄り指導者のジョン・グッドイナフ教授などと共に、英国王立化学協会の銘板(ブルー・プラーク)にしるされ、2010年にオックスフォードに設置されました。

現在では、ノーベル化学賞の有力候補としてご存じ方も多いのではないでしょうか。

参考サイト:千葉城北会 会誌 産経ニュース NIMS NOW




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