【雑学】織田信長が生んだ?「転勤」のルーツ

    web200_477133海外ではあまりない日本独特の慣行、「転勤」。そのルーツは織田信長に辿れるかもしれません。

    近世の大名は、時の統一権力に命じられると所領を移さなければなりませんでした。転封や国替と呼ばれる制度で、懲罰または恩賞として行われる場合もあったようです。1590年、豊臣秀吉が徳川家康を駿府から江戸に移したのもこの転封ですが、その制度の土台を作ったと言われるのが信長です。

    当時の武士の多くは先祖代々の土地を守りながら農業も行う半農半士の状態だったため、農繁期には戦ができませんでした。しかし信長は兵農分離を進めることで、季節を問わずいつでも、また土地に縛られずにどこにでも自由に動かせる常備軍を確保。大名は土地に結び付く生産力や兵力も失うので、トップへの権力集中にも繋がりました。

    また信長は何度も拠点を移していますが、家臣も一緒に移住させたとされます。武士と土地を切り離すこの流れが秀吉、家康に転封として引き継がれ、江戸時代の大名はお上によって別の領地へ植え替えられるいわゆる「鉢植え大名」となりました。新たな任地へ転勤する不安や期待は、日本人が400年以上に渡って感じてきたものなんですね。


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