【ヒストリー】49.コンデンサの歴史②~電子部品は無線通信と共に発展してきました~

    前回:コンデンサの歴史①~蓄電池よりも早く生まれた「静電気」を溜めるしくみ~
    からの続きです。

    蓄電池よりずっと古い静電気の活用

    コンデンサを調べると、「電気を蓄えたり放出したりする電子部品」と書いてあります。それだけ読むと、蓄電池と一体どこが違うのだろう?と思ってしまいますが、主な働きとして蓄電池は(電圧)を供給する装置コンデンサは電気の流れ(電流)を制御する部品、とシンプルに考えてみるとわかりやすいかもしれません(例外もあります)。電気の歴史も、静電気の実験的活用 → 蓄電池の発明 → 発電機と電力網 という流れを知ると、背景が理解しやすいと思います。

    江戸時代の本に描かれている静電気実験の100人おどし(出典:Wikipedia

    コンデンサの原型であるライデン瓶は、蓄電池が発明される半世紀も前に、静電気を溜める装置として考案されましたが、当初の目的は静電気をつかった見世物と実験装置でした。日本にも書物を通して伝わり、100人おどしのパフォーマンスに使われたようです。

    ライデン瓶の実用化

    1921年の本に掲載された無線送信機。細長いライデン瓶が12本並んでいます。(出典:Wikimedia Commons/English

     

     

    18世紀の半ばに静電気を溜める実験装置として発明されたライデン瓶でしたが、エジソンが電球を実用化し、初めての発電所をつくり、電力がインフラとして少しずつ普及し始めても、ライデン瓶は科学者達に使われ続けました。高い電圧が得られるため、様々な実験に好都合だったと思われます。そのためライデン瓶は蓄電器と呼ばれ、この頃は実験用のエネルギーとして利用されました。

    そんな中、19世紀の後半に、ヘルツ(ドイツ)がライデン瓶を使った実験装置で、偶然、火花の放電を目撃し、やがてこれがきっかけで電波の存在が明らかになりました。ヘルツの発見はたちまち知れ渡り、一気に盛んになった無線通信の研究が様々な科学技術を発展させました。

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    様々な電子部品の登場

    無線を研究開発して1897年に無線電信会社を興した発明家のマルコーニ(イタリア)が、その4年後(1901)に大西洋横断無線通信に成功すると、後の電子部品の原型となる製品が次々と登場してきました。無線通信には、整流、増幅、検波など、それまでにはなかった、複数の制御機能が求められたからです。無線と言っても当時は、上の動画のように(マルコーニの無線/カナダ科学技術館)スパークギャップの火花放電でモールス信号を送るだけのものでしたが、地上の電信会社(有線)との競合を避けたマルコーニの戦略もあり、船の安全に欠かせない海上通信として普及していきました。その前段として、この時期には
    1904年 二極真空管
    1906年 三極真空管
    1909年 マイカコンデンサ
    などが次々と発明されています。あかりを灯すだけだった電気が、無線通信の登場によって、先進技術に姿を変え始めたと言ってよいでしょう。

    1917年の海外少年雑誌に掲載されている無線送信機の図解。右上にライデン瓶が見えます。(出典:Wikipedia/Einglish

    この頃になると、手作りの装置を自作するアマチュア無線愛好家も現れ始めました。彼らはミネラルウォーターやウェルチのジュース瓶などを利用してオリジナルライデン瓶をつり、自作無線システムの製作を楽しんでいたようです。電気の研究も進み、ライデン瓶は高い出力を得るためのコンデンサとして使われ始めましたが、形状は発明当時とあまり変わらず、まだまだ瓶のままでした。

    次回は電子部品としてのコンデンサについて書きたいと思います。