事業継続の課題を解決Ⅱ 東日本大震災発生そのとき①(BCPの必要性)

    BCPイメージ

    ミカド電装商事(株)社長の沢田秀二です。前回は、BCPって何?ということでBCPについて簡単に解説させて頂きました。今回は私たちが経験した東日本大震災を振り返り、そのとき現場で何が起きていたかをお伝えさせて頂きます。(※全記事はこちら

     

    2011年3月11日に東日本大震災発生

    2011年3月11日14:46 宮城県沖を震源とする観測史上最大のM9.0という大地震が発生しました。軽量鉄骨3階建ての当社3階で、打合せをしていた私は、壁につかまり隣のビルや電柱の異様なしなりを眺めながらいつ終わるとも知れない揺れが収まるのを待つしかありませんでした。

    揺れが一段落した隙に階段を下りて会社駐車場へと避難、社内にいた全員の無事を確認して、安堵したのを覚えています。

    3月12日の河北新報
    見開きで地震を伝える翌日の河北新報

    地震発生後十数分間続いた強い余震が、いったん収まったのでデスクに戻りパソコンを覗くも、事務所のサーバーがダウンしたのかインターネットはまったく繋がら無いため、非常用ラジオで情報収集したところ、地震は関東地区を含むかなりの範囲で大きな揺れを観測し、被害も広範囲にわたるらしきことが判明したので、業務をすべて中止し、従業員のみなさんは帰宅して頂き、社内に残った役員で営業や工事で出張中の従業員のみなさんの安否確認を開始しました。

    事務所内は棚という棚から書類が飛出して散乱し書類の海状態でしたが、幸い建物自体には大きな被害は無く、倉庫に保管していた製品(蓄電池)が数個割れてしまった程度でしたので、安否確認がひと段落したところで片づけもそこそこに、役員も家族の元へと帰る事としました。家に帰る途中で判明した津波被害の大きさに、足が震えたのを思い出します。

    当社の震災当日、翌週の初動情況

    1.当日

    ①社屋外に避難

    ②建物に被害が無い事を確認し建物内の一部片付け

    ③災害発生時マニュアルに沿った従業員の安否確認

    ④発災1時間後に、お客さまからの電源復旧に対して緊急対応できる人員を幹部中心に確保した上で、事前に用意していた非常持出し袋を支給し従業員帰宅開始
    (帰宅手段の無いものには、社用車を貸与)

    ⑤発災3時間後におおかた安否確認がとれたため、緊急対応者と役員の帰宅開始
    (道路の復旧・避難先確保が優先された為、電源復旧に関する当日の緊急対応は無かった)

    ⑥発災4時間後に1名を除き安否確認完了
    (1名は翌朝メールで安否確認がとれた)

    2.翌週月曜日(発災が金曜日だったため発災後初の営業日となる)

    ①災害対策本部を設置し役員で情報の整理を行い、現状確認と優先順位、当社方針を決める

    ②朝礼にて当面の勤務体系(短時間労働)と、緊急連絡網を再確認してお客様対応を指示

    ③電力会社、ガス局、水道局より依頼があり仮設電源の設置工事を請け負う←これは当社の業務

    ④生活で必要となる会社の備品(電池、紙コップ、皿、備蓄食料)を希望者に支給。


    今思うとびっくりなのですが、事前に用意されていたのは1-①安否確認のみでこれ以外はすべて事後検討でした。次回は2日目以降についてもう少し触れたいと思います。

    乞うご期待。

    (沢田秀二)

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