電気と技術の知られざる偉人たち(02)~日本で最初の電気化学工業を仙台で起こした藤山常一~

     

    水力発電発祥の地に立つ銅像

    仙台市青葉区の三居沢発電所の敷地の中に「工学博士藤山常一先生像」と書かれた銅像の記念碑が立っています。これはこの地で日本で初めて電気化学工業を起こした藤山常一の功績を称え、昭和12年(1937年)に建てられたものです。

    三居沢発電所は明治21年(1888年)につくられた日本で最初の水力発電所で、小さいながら今も現役で稼働しており、敷地内には電気事業や発電所の歴史資料が展示されている「電気百年館」という小さな博物館もあります。

    交通公園や不動尊などもあり、発電施設と言うよりは仙台市民の憩いの場といったほうがふさわしい三居沢発電所の一帯ですが、元々この地は宮城紡績会社(設立明治16年)という民間会社の工場でした。

    三居沢水力発電所はこの宮城紡績会社が生産力向上のためにつくった自家発電設備です。それは業績不振から回復するための起死回生策でした。しかし発電には成功したものの事業は回復せず、同社はこの発電所を利用して売電事業に乗り出します。(始めは仙台電燈社に売電)

    まだ照明がなかった時代に電灯の明るさが評判を呼び事業は順調でしたが、需要の増大に伴って第二発電所を隣につくったところ、今度は電気が余る状況になってしまいました。

    そこで余剰電力の活用を検討し始めた宮城紡績電灯会社に、技師長として招聘されたのが藤山常一でした。

    日本で最初のカーバイド製造

    藤山常一(佐賀県生まれ)は、東京帝国大学電気工学科出身で、電気応用を得意としていたことから、カーバイドの国産に着目しました。カーバイドは水と反応させるとアセチレンガスを簡単に発生させるため、当時はランプの燃料につかわれていました。

    しかしアメリカでは生産が実用化されていたものの、日本ではまだ生産されておらず、日本で使用されているカーバイドはすべて輸入品でした。

    藤山は国内では製造方法さえ確立されていないこのカーバイドを初めて自分達でつくってみようと思い立ち、電気炉の電源に三居沢発電所の電力を活用したいと考えたのです。

    カーバイドの製造は藤山の頭の中では理論的に可能なものでしたが、それを実際に実現するためには大きな苦労を要し、後年藤山の妻は自宅の玄関先にある松の木に「首をかけそうになった」と述懐しているそうです。

    やがてついにカーバイドの一塊が出来上がり、お披露目には宮城紡績電燈会社の伊藤清次郎社長らも招待されていましたが、カーバイドにロートで少量の水を注いだところ発火したアセチレンガスが爆発し、ロートが社長めがけて飛んで行ってしまいました。

    しかし藤山は社長のことよりもカーバイドづくりが成功したことがうれしく、ひとりで小躍りしていたようです。

    当地にはこれをきっかけに「三居沢カーバイド製造所」が設立されましたが、藤山自身は明治41年(1908年)に東京帝国大学電気工学科の同窓生・野口遵氏とともに「日本窒素肥料会社」を設立し、カーバイドを原料とする石灰窒素肥料の製造を始めました。

    さらにその後「北海カーバイド工場」を創立してこの事業は現在、デンカ株式会社に引き継がれています。

    ちなみに当社(ミカド電装商事)も、燃料不足だった戦後の混乱期に代替エネルギーとしてカーバイドを扱ったのが始まりです。今回はご縁を感じながらこの記事を書かせていただきました。

    (ミカドONLINE編集部)


    参考/参照記事 ~東北にあかりを灯した~ 三居沢水力発電所物語 電気化学工業 発祥の地 藤山 常一(ふじやま つねいち) など