【ヒストリー】39.エレキギター(2)ハワイアンがナウかった

    前回、世界で最初のエレキギターは、今でいえばミュージシャン系のベンチャーであるジョージ・ビーチャムが1931年に考案し、自社工場を持っていた機械技術者のアドルフ・リッケンバッカーと提携して、現在のリッケンバッカー社の前身にあたる会社が1932年に販売を開始した、と、書きました。ですが、このギターは、今、私達がイメージするようなエレキギターではなく、主にハワイアンミュージックで使われるスチールギターでした。なぜなら、その当時、今のようなロックはまだなく、大衆音楽の世界で大流行していたのは、ハワイアンミュージックだったからです。スチールギターはハワイアンミュージックには欠かせない存在。そのため、自身もハワイアンミュージックのプレイヤーでもあったジョージ・ビーチャムは、まずその分野で流行に乗って一旗揚げようと思い、スチールギターの大音量化を目的にエレキギターを開発したのです。

    スチールギターという名前を知らない方でも、夏の日のビヤガーデンやスーパーの店内で鳴っているあの音色・・・と聞けば、誰でもわかるのではないでしょうか?ボトルネック奏法(スライド奏法)で演奏される独特の音色が印象的ですよね。というか、今となっては、ある意味、昭和っぽい??^^

     

     

    1930年代のハワイは富裕層の高級リゾート地であり、多くの人々が南国のイメージに憧れました。そんな中でハワイに元からあった音楽にジャズやブルースやカントリーの要素が溶け合い、今、私達が耳にするような(いわゆる)ハワイアンミュージックが多様性を持って形成されていきました。やがてそれは、進駐軍を通じて日本に伝わり、日本で初めてリッケンバッカー社のエレキ・スチール・ギターを持ち込んだホノルル生まれの日系二世、バッキー白片氏の登場によって圧倒的な人気を誇るようになりました。当時の若者にとってバンドといえば、イコール 「ハワイアン」だったのです。その世界的な流行はしばらく続き、後続のエレキギターメーカーが次々と発売したモデルは当然ながらスチール・ギターがメーンでした。のちにテレキャスターで商業的な成功を収めるフェンダー社も当初はスチール・ギターを主力に据えていたことが、当時のカタログの表紙でもうかがい知ることができます。