ノーベル賞日本人受賞者(1)湯川秀樹博士は何をした人?~1949年(昭和24年)に物理学賞を42歳で受賞~

    みかドン ミカどん2021年10月5日現在での日本人ノーベル賞受賞者は28人です。ですがいったい何をした人なのかよくわからないという方も多いのではないでしょうか?今回からは28人の日本人受賞者がなぜノーベル賞を受賞したのか?を掲載していきたいと思います。

    終戦後の日本に希望を与えた湯川博士の日本人初受賞

    湯川秀樹博士は京都帝国大学出身の物理学者です。ノーベル物理学賞を受賞したのは1949年(昭和24年)のことで、日本人初のこの受賞のニュースは終戦間もない日本に大きな希望を与えました。

    湯川博士の受賞理由は、27歳だった1934年に発表した「中間子理論」の正しさが証明されたからです。

    湯川博士が大学を卒業した当時、世界では「素粒子物理学」という新しい学問が活発になり、原子核の構造などが急速にわかりはじめた時代でした。

    原子核の中には陽子と中性子があるということが分かったばかりの時期で、湯川博士は、この陽子と中性子が原子核の中でバラバラにならずに結びついている理由を説明する理論を作り出すことを目指したのです。

    中間子とは?

    たとえば,陽子と電子は電気的にプラスとマイナスがあって引き合っているためバラバラにはなりません。けれど、電気的に中性な中性子がどういう力で原子の中に結び付けられているのはまだ解明されていませんでした。

    そこで湯川博士は、中性子同士を結び付ける何かがあるのではないかと考えました。それはヒモのようなもので中性子が原子核から飛び出していくのを防ぐ役割を持ちます。

    湯川博士はそれを中間子と名付け、その存在を理論的に予言しました。そんな論文を27歳で書くなんて本当にすごいですね。

    中間子理論の正しさが立証されて受賞。独学がむしろよかった?

    論文はまず国内で発表され、その翌年には日本数学物理学会の欧文誌にも掲載されましたが、当初、国際的には全く注目されませんでした。

    しかし、その後、実験で「中間子」の存在が確かめられて状況は一変し、湯川博士はノーベル物理学賞を受賞しました。

    当時の日本にこの分野の専門家はおらず、湯川博士の研究は海外の論文などを手がかりに進められたものですが、物理学の中心だったヨーロッパから遠く離れた日本にいながら、なぜ湯川博士はノーベル賞を受賞する研究を成し遂げることができたのでしょうか。

    湯川博士と親交のあった物理学者で、湯川博士の業績や人物像を研究している慶応大学名誉教授の小沼通二さん(88)はその理由をこう捉えています。

    「世界最先端のヨーロッパには、大きな業績をあげた偉い先生がたくさんいて、彼らの考えていたことは弟子に伝わるため自由な発想が生まれにくかったが、湯川博士は日本で事実上、独学で道を切り開いてきたことで、既成の観念にとらわれすぎなかった。物理の伝統に縛られ過ぎず自由な発想と本質を見通す力を持ったため、大きな仕事を成し遂げられた」

    すでに実績のある偉い先生たちの影響を受けなかったことに加えて、ご本人の年齢が若く、常識や既成事実にとらわれない柔軟な発想を持ちやすかったのかもしれませんね。

    (ミカドONLINE 編集部)


    参考:湯川秀樹博士 ノーベル賞受賞70年 日本人初の受賞までの苦悩と喜び 湯川秀樹博士と中間子 など